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いつも元気

「想像を超える未来を描く・・・・・・日常の何気ないことがらまで」

ほんまもん001

将来、何になるのか?

週末の夜になると、『 おりゃ~ 帰って来たぞ~ ! 』
町営住宅の中通路を・・・・・・大きな声で怒鳴りながらその人は酔っぱらって帰ってきた
近所迷惑を心配して、大きな声を聞くと・・『も~ また飲んでからに~』 と言いながら奥さんが迎えに来ていた。
それが三軒隣の シロザワの おっさんだ。 
戦前は警察官をしていたらしい~と母親から聞かされていたが
私が子供の頃はほとんど酔っ払いの漁師さん‥‥それが第一印象。
男の子ばかり4人の子供と奥さんがおられたが、漁師で稼いだお金をお酒につぎ込むので、そのお家の常は麦ごはんを食べていたようだった。そのことが辛かったのか?二番目の中学生のお兄さんは自分でお弁当用に白米を七輪で炊いていた。
三人の兄たちは中学校を卒業するとそのまま京阪神へ就職した。

お酒と酔っ払いはその時の印象が強い、我が家ではそれとは対照的にお酒が無かった。
両親ともお酒はたしなまなく下戸だったのだ。母は料理用にもお酒を使わなかった。
その遺伝子を受け継いで、私もお酒はほとんど飲めない。
大きくなると、何になるんだろうかと小学生の頃から考え始めるが、漠然と父親と同じようなサラリーマンになるのかと想像していた。
ただ、漁師と酔っ払いにだけはならないようにしようと・・・・・そのおじさんの姿を観て心に決めていた。

(しかし、シロザワのおじさんに小学生の時に助けてもらったことがある。 紙芝居が来たので走って行き、そのまま荷車にぶつかり頭に大怪我をしたとき、私の頭にタオルを巻いて・・・・病院まで自転車の後ろに乗せて運んでくれたのはこの人だった)1959年ころ

今日読んだ 『建築家の年輪』 真壁智治 編著
平均年齢85~93歳ぐらいの20名の建築家のインタビューをまとめた本。

<建築家に歳なんて関係ない>
<建築が自分の作品なんて、真っ赤な嘘です>
<建築というのは結局人間との付き合い、人間を考えることです>
 70歳からの建築家の人生をどのように生きていけばいいのか? そのヒントを求めて真壁さんがインタビューした
今90歳の人は それ以前の先輩の背中を見て励みにしている。
そんな風に、バトンを受け渡ししながら・・・・・この仕事は生涯尽きることなくできる職種だと

将来の目指す仕事の在り方は、シロザワのおっさんのような反面教師もいてくれて良かったし
この本の20人・インタビューからも多様さを認めて・・・・・・100歳まで現役でと刺激を受けた。

シロザワのおっさん            建築家の年輪


花は香り

水仙の花が香り立つ庭先、紅梅がこれから満開

いくら綺麗でも造花から香りはしない・・・・・・・
生きた花は、はかない命を精一杯に咲き、香りを放すところに花の見事さがある

花は香り 人は人柄 

人の場合は人柄だと二宮尊徳は語った・・・・・その人の何とも言えない引き付けられる魅力
慈愛に満ちた優しさ、勤勉さや希望を持った勇気ある姿勢、
信頼できる誠実さや逞しさ、明るい雰囲気に包まれる楽しい人、繊細さのある他者への思い遣り
・・・・・・・・人柄が一番肝心だと

先日来世間をにぎわせた元首相の醸し出す雰囲気を・・・・国民はどんな人柄だと感じたのだろうか?
少なくとも表面上の言葉遣い以上に、人柄までも含めた人物評価をしているのだろう

今朝も津田の松原を歩きながら・・・・・・花の香りを胸に留めながら・・・・・・生花の稽古しながら
花の香りと人柄を思い浮かべながら・・・・・・
元首相の事は反面教師として、果たして我が身はどうなのだろうと足元を見る・・・・

花は香り  見合い橋

水仙 様式 中景 春 木瓜と菜の花

父の靴

いつもの帰り道と違って 『今日は 靴屋さんに寄るから~ 』 と迎えに行った私に、父は言った
そのお店は、旧三本松高校の東門の前にあった たしか『ヤマニシ』という靴店だった
三本松では珍しいオーダー靴店として細々と紳士靴を作っていた
父は、こだわりのカ所を細かくお店の人に説明して、仮縫いのような段階の靴を楽しみにしていた
その後、父が運転する自転車の後ろに乗って 父の鞄を抱えて 帰宅した。
まだ小学校4年か5年ころだった。
そして、後日その靴が出来上がると、箱に入れて大切そうに扱っていた
そして父は、晴れがましい時のよそ行きの黒いスリップオン型の靴として・・・・生涯大切に履いていた。
その頃の私が履いていた靴は、ズックと称する ビニールとゴムのコンビで作られた子供用だった。
中学生になる頃、布製のひも靴を履くようになり、高校生になった時に、学校の指定靴として革靴を履くようになった
でもその革靴が気に入らなくて、高校二年になるともうその指定靴は履かなくなった。
そして、父に無理を言って靴を買って欲しいと頼んだ。
後日、会社が休みの日に高松へ一緒に行こうと誘われて、部活が休みの日にライオン通りの靴屋さんへ行く

私の気に入った靴は、焦げ茶色の今でいう処のバーガンディのシロモノだった。
父は予想していた価格よりずいぶん高かったようで・・・なかなか認めてくれなかったが、私の熱意に負けて承諾してくれた。
その靴は高校卒業しても大学一年まで履いていたように思う

そして大学生の時に、福岡で購入した新しい靴を履いて帰省した時、父はまっ先にそれを見つけて
『ふ~ん こんな靴を買ったのか? 』と言いながら 平べったいソールがラバーのカジュアルな靴を 手に取っていた。

その父も、亡くなって20年、時々思い浮かべるシーンは 三本松の靴屋さんで注文していた父の横顔
高校2年の時、私の靴を買ってくれた、 ライオン通りのお店での 表情
そして、大学時代に帰省した時のシ~ン

70を前にして、自分自身で靴へのこだわりの原点を想う時、それらの幼児体験が大きく左右していたと考えるようになった

父の靴2 高校生の時の靴1




 

カスタムバイク

休日の昼過ぎに、事務所裏の車庫から、バイクのエンジン音が聞こえてきた
明らかに、国産車ではなく、ハ-レーダビットソンの排気音だった

『このバイクは何というバイクですか~』 私
自宅に帰る途中に、近寄りながら Nさんに声を掛けた
『ハーレーの スポーツスター アイアン883です~』 Nさん
どうやら、排気量は883ccの 中古で購入したこのバイク色々パーツを取り換えている所の様子

赤いタンク、フェンダーを青い色のものに取り換えたり・・・・されている
聞くと、Nさんはこのバイクで ハーレーばかり 3台目だという
これまでの中で一番小さいタイプだが、乗りやすいらしい

スピードは出さなくて、ゆったり乗るのが気に入っているという
以前事務所に来られた、イタリア製ドカティがお気に入りの Tさんのことを思うと、 Nさんは このハーレーのバイクが一番お気に入り

乗り手の好みをそそる、エンジンの排気音だったり 乗り心地なのだろうと・・・・・
少し暖かくなった、休日 家にこもるのでなく・・・・・
バイク日和尚と思ったでしょうか~ハーフコートを着て乗り込むところだった
帰り際に、カメラに写す

スポーツスター835 スポーツスター835-2

職人さんを見つめて

学校の帰りに体育倉庫の前で、体操マットを縫って補修している職人さんの姿を いつまでも見つめているので
友達はみんな、自宅へ帰ってしまっている
その時・・・職人さんは
『ボク~ お父さんは なにしているん? どこ行ってる~?』
『う~ん カイシャ 』 僕
『それは~  サラリーマンやな~』 職人さん
『エッツ サラリーマン って ?』 僕
『 カイシャで 給料をもらう人の事や~』 職人さん

そんなやり取りを日が暮れて、職人さんが後始末をするまで・・・見つめていた

それは、学校の横で、故障した自転車オートバイを路上で修理している大人
『それなに~?』 僕
『これか~ プラグや~』 その人
『プラグ~って なに? 』 僕
『え~ 火花が出るんや~ 』 その人
『それ手で触っても~  イタ~ないん ?』 僕
そんな会話を大人としながら・・・・大人の修理風景を例によって後ろ手にランドセルを背負ったまま、見つめていた

物心ついた・・・・小学校低学年から・・・還暦を過ぎた現在まで  同じ仕草で、職人さんに話しかけながら現場での仕草を、いつも見つめている。
見つめながら、こんな格好を幼い時からず~と してきたことを思い浮かべる~
もうその仕草は、60年以上にもなるが、習慣になっていて今日も コンクリートを斫る職人さんの 扱うドリルの先を見つめていた

あの懐かしい体育用具の修理職人さんや自転車オートバイは・・・・どこへ行ってしまったのか?
もう見かけなくなって・・・半世紀にもなる

たたずむ子供2-5

体育倉庫前の職人さん 自転車オートバイ1-2

公民館の火事

休日の昼過ぎ、浜で友達と遊んでいる時、その中の一人が指をさして 『おい! あのケムリ  ものすごいな~?』
振り返ると、つい近くの家のすぐ裏から真っ黒い煙が ものすごい勢いで 見えた。
そのまま、見に行こう~と 走ってその煙の方向へ。でも家のすぐ裏ではなく、小学校の近くだった。
そしてその建物は三本松公民館だった。 東のステージ側の所から炎が窓から噴き出していた。 用務員の<チョットコイヤ>と僕たちに呼ばれていたおじさんは、気も狂わんばかりに建物の周りを走り回り・・大声を上げていた~
それから暫くして、街のサイレンが鳴り 火事の知らせを町中に鳴り響かせた。
そうしているうちに見物人がたくさん集まり、その中を消防自動車がその前を海まで一直線に走りぬけて砂浜へ・・・・
そこで赤い消防自動車から 団長の コジマのおもちゃ屋の叔父さんが ホースを海へ投げ入れていた。
公民館の周りには大きな松の木が立ち並んでいたが、建物からの炎でバリバリと燃え広がっていた。
その時の恐怖と、見物人たちの大きな声で異様に興奮したことを思い出す。
三本松小学校6年生の時だった。 毎年卒業式はその公民館で行うのが常だったが、私たちの時はその会場が無くなったのでどこでしたのか・・・・・思い出せない。・・・・別の記録によると、三本松高校の旧校舎・体育館で行った。

私にとっては、毎週その公民館の玄関土間でローラースケートをして遊んでいたので、そのスケート場が無くなることのほうが寂しかった。 そして、あの時気が狂ったように火事のことを嘆いていた用務員さん(僕たちはいつも追いかけられて、叱られていたので<チョットコイヤ>と 呼んでいた) に 公民館でローラースケートをして 怒られることも無くなった。
あの用務員さんは、あの当時50歳は有に過ぎていたと思うが、いたずらな小学生たちを真剣に走って追いかけて・・・僕たちはその緊張感が今は懐かしい。 あの元気だった<チョットコイヤ>は 自分の名前を そう呼ばれていたことを・・・・きっと知っていたのだろうと思い出す。それは、用務員さんのあだ名だった。

この公民館には、TVの普及していない時代の娯楽の中心施設だった。 大阪から、漫才師の人や 浪曲の人、演劇、 素人のど自慢。時に暗幕を張って幻燈と称する「映画」なども・・・・茣蓙(ござ)を敷いて、各自座布団持参・見物人は座り込んで眺めていた。  
大人たちの大きな笑い声と、大きな拍手が幼心にも楽しい気分に浸り、お祭りの延長上にあった公民館でもあった。
ローラースケートは兄と一緒に父が買ってくれた。後に栗林公園のプールが冬の間ローラー^スケート場になるので、そこへ連れて行ってもらうのが何より好奇心をそそった。そこで見かけた、スケートの上手な人が後ろ向きに滑っているのを始めてみて、そんな風にも滑れるのかと・・・・感心しながら憧れるように 見つめたことも思い出す。
(木造モルタル)三本松公民館・用務員さん(チョットコイヤ>・ローラースケート(運動靴の下に着けるタイプ) と共に 
 昭和38年(1963年) 小学校6年生の思い出~
この小学校も2019年3月、開校以来146年の幕を閉じ、閉校した。 そして今は誰も登校しない場所になった。

三本松公民館1 ローラースケート Ⅰ

津田海岸

スマホの音楽をイヤフォーンで聴きながら万歩計をポケットに津田松原 散歩道を歩く
陽射しも暖かく、海もおだやか、海水の透明度がすご~い
途中中学生のグループが部活の練習でしょうか。 走っている。
津田川の手前でこの海岸が終わる。 最近できた 土日のみ営業しているショップへ休憩で立ち寄る
 安芸水産が運営している <ちゅみうみ> という 海産物のお店
ロングのコンテナを改装して内部はボードを張って厨房もある
コーヒーを注文すると 「 ハイ! 今から  豆を挽きますので・・・待てますか? 」
海を見ながら、ベンチで待つこと10分程度
ちゃんとしたコーヒーを出してくれました。 帰りに、炊き立てのタコ飯を1パック 買って帰る
休日でもあり、お客さんがぼちぼち~ 
事務所に帰ってくると、万歩計は9500歩  歩幅から計算すると 往復約 6km 歩いたことになる

海岸の西から 鵜部(うのべ)の鼻~ 名古島 の間に ちょうど 丸亀島の男島と女島が見えて 津田湾を一望~ 絶景です!

津田海岸1 津田海岸2

津田海岸3 津田海岸4

津田海岸5 津田海岸4-2

津田海岸6