割烹着 (かっぽうぎ)
イソップのハンドクリームを手にするたびにふと思い出すことがある。
それは、私が中学3年生の時のこと
白鳥町の叔父さんの家に半月ほどアルバイトで手伝いに行き、その報酬を頂いた時の事だ。
三本松の<ブンゴ>という化粧品店へ母へのハンドクリームを買いに出かけた。
坊主頭でニキビ面の私にはそのお店に入るだけで勇気がいった。
恥ずかしくて、なかなか注文できないでいると、店員さんが気を遣ってくれて丁寧に応対してくれた。
またプレゼント用に赤いリボンを掛けて・・・「きっとお母さんこれで喜ぶでー」と励ましてくれた。
帰宅して、母にその箱を手渡すと、両手を添えてすくうように大事に受け取ってくれた。
そのとき、滲み出すような嬉しそうな表情と、心なしか目が涙ぐんで滲んでいるようだったと思い出す。
昼も夜も、ミシン掛けの内職で母は、二十日鼠のように働いていた、手も指先もかまう余裕がなかったのか職人のように荒れていた。
服装は決まって、白い割烹着だった。

それから10年もしないうちに母は病気で他界した。
生前そのクリームを手にして使っているのを私は一度も観たことがない。
その後も、私の心の底には母に喜んで欲しいと、あの嬉しそうな表情をして欲しいと、願いながら生きてきたところがある様に思う。
あの<ブンゴ>も二年前に店じまいして三本松の町が寂しくなるが、人に喜んでもらえる喜びは今も変わらず、私の心の支えになっている。
振り返るとハンドクリームの思い出からもう、四十年以上が過ぎようとしている。
けれど、人が変わり風景の変化はあっても、私の心の拠り所はむしろ強くなっているような気がする。

先日、林町で幼い子供とともに田植え作業をしている家族を見ながら。
幼い子供が近くにいるだけで、大人達は元気に田植え作業に精を出せているように見えた。
別に手伝ってくれているわけでなく、近くで遊んでいるだけで、大人達は頑張れることが今になって判るような気がする。
母へのプレゼントの時を思い出しながら

それは、私が中学3年生の時のこと
白鳥町の叔父さんの家に半月ほどアルバイトで手伝いに行き、その報酬を頂いた時の事だ。
三本松の<ブンゴ>という化粧品店へ母へのハンドクリームを買いに出かけた。
坊主頭でニキビ面の私にはそのお店に入るだけで勇気がいった。
恥ずかしくて、なかなか注文できないでいると、店員さんが気を遣ってくれて丁寧に応対してくれた。
またプレゼント用に赤いリボンを掛けて・・・「きっとお母さんこれで喜ぶでー」と励ましてくれた。
帰宅して、母にその箱を手渡すと、両手を添えてすくうように大事に受け取ってくれた。
そのとき、滲み出すような嬉しそうな表情と、心なしか目が涙ぐんで滲んでいるようだったと思い出す。
昼も夜も、ミシン掛けの内職で母は、二十日鼠のように働いていた、手も指先もかまう余裕がなかったのか職人のように荒れていた。
服装は決まって、白い割烹着だった。

それから10年もしないうちに母は病気で他界した。
生前そのクリームを手にして使っているのを私は一度も観たことがない。
その後も、私の心の底には母に喜んで欲しいと、あの嬉しそうな表情をして欲しいと、願いながら生きてきたところがある様に思う。
あの<ブンゴ>も二年前に店じまいして三本松の町が寂しくなるが、人に喜んでもらえる喜びは今も変わらず、私の心の支えになっている。
振り返るとハンドクリームの思い出からもう、四十年以上が過ぎようとしている。
けれど、人が変わり風景の変化はあっても、私の心の拠り所はむしろ強くなっているような気がする。

先日、林町で幼い子供とともに田植え作業をしている家族を見ながら。
幼い子供が近くにいるだけで、大人達は元気に田植え作業に精を出せているように見えた。
別に手伝ってくれているわけでなく、近くで遊んでいるだけで、大人達は頑張れることが今になって判るような気がする。
母へのプレゼントの時を思い出しながら

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