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ほんまもん001

24年前の頃

阪神大震災の頃の手帳
 阪神大震災が起こった頃、どんな生活をしていたのだろうか?
24年も過ぎ去った時を振り返り、そのころの手帳を開いてみた。
朝5時46分、さぬき市の自宅2階で寝ていた・・・・つぶれるかと思うほどにその時大揺れ~
昼過ぎになって初めて阪神淡路方面が大災害になっていることを知った。
即日、メディアは情報の嵐のような様相で被害状況を発信、そのたびにどれほど甚大な被害か想像もつかなかった

そして建築家協会に加入している建築技術者にもボランティアの要請が届いて、ボランティア参加者を募られ・・被災から約2週間後
2月5日(日)香川県の建築家協会から私を含めて3名が神戸へ被災状況の判定調査に向かった。
早朝の4時38分のジャンボフェリーにコンビニ弁当持参で
ヘルメットとリュクサックを背中にして
自転車と共に乗船した、しかしいつも着岸するフェリー埠頭は護岸が崩れて着岸できなく、別場所の臨時のところから自転車を押して上陸した。
集合場所の東灘区役所へ向かう途中、焼け跡になった場所から焦げ臭い異臭が漂ってきて小さい紙切れが所々に掲げてあった

「・・・です、元気に・・・に仮住まいでいます」 などと書いたメモが印象に残った。

そして、設計者二人ペアで届け出のあった被災住宅を見て回り、被災判定を済ませて仕事を終わらせた。
途中、お弁当はガード下の人目のつかない所で食べたように思うが
被災された住民の方々が私達ボランティアのヘルメットを見つけると・・・「ご苦労さんです・・・コーヒーでも飲んでいかれたらどうです}」などと、元気な声で励まされたのが意外でした。

フェリー乗り場まで帰宅する前に、東灘区から三宮~元町を自転車に乗って観て回り、その被災状況の大きさに改めて衝撃を受けた。
ビジネス街の通りから向こうを見ると、どの建物がまっすぐに立っているのか区別がつかないほどそれぞれに傾いて建っているビル群が見ているほうの目を錯覚させるほど、複雑に傾いていたことを思い出す。
そのころ、石州流の茶道の稽古に毎週通っていたことが同じ手帳に記載されて懐かしくももうそんな時代だったのかとイメージの思い出と食い違うことを感じた。

事務所の横では、膨らみ始めた水仙の蕾と、すっかり冬支度の赤いランタナが咲いている

水仙の蕾2  冬のランタナ1

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