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悲しみの「弦」
- 2018/11/26(Mon) -
沈丁花の蕾

長男が20歳の時
『僕の人生は、ついてない! 小学生の時、腕の骨折と先生の自殺。中学生の時バスケット部、せっかく一年生大会で優勝したのに、
二年生の時から先生が転勤、指導者のいない部活になり足のケガ。高校生になって、懸命にバスケをやろうと頑張っていたが、
二年生になるとき、三年生が卒業すると上級生、全員退部。
体育館は工事のため使えなくなった。更にもう一度膝のけがと、体育館のないバスケ部のキャプテンというみじめな高校生活だった・・・・本当に僕の人生はついていない…』 さめざめと泣きながら、車の助手席で語ってくれた。

ちょうど、スポーツ専門学校を卒業して、バイト先の先輩から、
『これからは資格のないトレーナーだけでは困るぞ、理学療法士か作業療法士のような、国家資格を取らないと‥‥』

そんな中、もう一度医療専門学校を受験しようとした時だった。

確かに、長男の言う通り、みじめな学生生活だとそばで見ながら思っていた。
でもようく聞きながら、トレーナーになりたいという高校生の時からの夢を持っている長男にとって
そのみじめな体験は、<ついてない>という言葉で済ませられるものだろうか?
果たしてそれだけの体験だったのかと思った。

『いや~それはすごくいい経験をしていると思う。   
スポーツ選手のトレーナーとして、ケガの経験や、指導者に恵まれなかった経験はそんな選手を少しでも作らない体験となり
ケガをした選手に対して、寄り添い親身になってケアできる・・・何にも勝る 経験者だと思うな~  』 そんな風に話したことを思い出す

このことを、神谷美恵子は、「生きがいについて」の中で、 悲しみを経験した人だけが持っている 共鳴しあう<弦> のようなものだといった

言い方は違っていたが、神谷美恵子の言う <共鳴する 弦 > は本当に悲しい経験をした後、立ち直れないと思うほど
心に傷を追っている時、同時に失うことだけではなく  人の悲しみと共鳴できる ひとつの 弦 が芽生えるのだと

失った<もの>、<人>は 実態として見えなくなるが  実は 見えない存在として ず~っと有り余るほど大きな存在として包み込んでくれている いまもすぐそこに・・・・ <もの><人>も・・・・

長男は、その年の医療専門学校をすべて不合格、一年間、予備校生として四国に帰り、4年後に理学療法士として卒業、スポーツドクターのいる病院へ就職についた。

<悲しみの弦> という表現で語られた、神谷美恵子の経験と思考の深さ、そして詩的な表現力に 人間としての慈愛に満ちた まなざしを感じた。 このような心打つ文章表現は、この節だけではないが、  
長男とのことを思い出しながら・・・特に心に響いた。

玄関の沈丁花の蕾がはっきりとわかるほど膨らみ始めて
ランタナは、黒い実をつけて冬の近いことを教えてくれ
義母の育てている、黄中菊は・・・・・満開です

ランタナの実  黄中菊4






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