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ほんまもん001

戦後に生まれて

夕暮れの浜辺で、近所の オーモリのおばさんは、繰り返すように幼かった私たちに語ってくれた。
床几(しょうぎ)に腰掛けて穏やかな瀬戸内の夕凪を眺めて話していた。

『そりゃーロスケが家の中まで来て、なんでもかんでも取っていくから、怖かったのなんの~』

朝鮮半島での終戦後の辛く苦しかったことを何度もその生活を語ってくれた。
子供を三人抱えて日本に帰ってきて、母子家庭でありながら子供たちを育てた人だった。
女の子は頭を坊主にして男のようにして育て、男の子は背負って帰って来たという。
そして、その話がその後、私の中では五木寛之のエッセイの言葉と重なる。

この海のずっと向こうには、そんな怖い世界があったのだと思いを馳せながら
その頃聴いていた私は、小学校へ入学するころだったと思う。

今朝の新聞で、大佛次郎賞を受賞した、新田次郎の記事を読みながら、その頃のことを考えていた。
戦後生まれの同い年の作家が書くと北山修が書く『戦争を知らない子供たち』とは全く違う世界が広がるのだと世代感情を思い浮かべていた。
そして、5人の書評論を読みながら同じ短編小説を読みながら受け取り方、表現方法が随分違うものだと感心する。

後世に残してゆく戦争の足跡を、親たちから明確に聞かされてこなかった、
親たちに聴けば何となくあやふやな言葉で、その場を濁されそうか気持ちもあった。
現実の戦後は、戦争体験という実態以外に、戦争の後遺症として屈折した感情を残しながらひきづって残る。
70年以上経過しても、先の戦争の傷は容易に消えないし、消してはならないものだと、浅田次郎の着目点の事に感心していた。

そしてさっそく書籍をnetで注文させてもらう・・・・読んでみよう。

浅田次郎 43回大佛次郎賞




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