三文の値打ち
2010年07月26日

『早起きは三文の得』 があるとよく父親から聞かされてきた。
毎朝、眠い目をこすりながら、父親の乗る通勤自転車の後ろに乗り、三本松の駅まで送らされたものだ。
小学四年生から中学三年生まで続いた、我が家の恒例行事だった。
早く起きたら、三文の徳があるから得をするよ、早く起きなさいといいたかったのか?
朝早く起きても、三文の得しかならないが人として当然の行為と言いたかったのか?
今となっては問いただすべくも無いが、その習慣が今となってはありがたい習慣になっている。
その費用が三文という、微妙な金額を思うと、大して得をしているわけではないと言いたいのだろうかと思う。
でも、この習慣は三文と軽々しく言い切れないお値打ちがあると今になって思う。
一日の始まりを早起きするとはっきりと、得がある行為なのだと。
でも、先日読んだ、車谷長吉さんの三文の言い回しには、驚いた。
『口の軽い男には三文の値打ちも無い』と自嘲気味に語っている言葉だ。
こうなると、三文を吐き捨てるように蔑んだ言い回しに使っていて、手厳しい言葉だ。
新しい市場に賭けるニュービジネスの用語として
ブルーオーシャンと言う言葉が、レッドオーシャンと比較して語られているが。
朝早くから、真新しい誰もいない市場をイメージするには、早朝がぴったり。
遅れて起きていては、新鮮な発想やマーケットをイメージはできそうに無いと思う。
たわいもない井戸端会議のような軽口を長々と喋っている男たちは適当にあしらって・・・・・
ブルーオーシャンに漕ぎ出してゆきたければ、早朝から自分を甘やかしていては何も始まらない。
そう思いながら、語呂の似ている・・・庭のオーシャンブルーを眺める。

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