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かりんとう饅頭
- 2010/03/15(Mon) -
素朴で見ためより、ずっと美味しいお菓子に時々出会う。

四国新聞で知った、三豊市豊中町の一誠堂の<かりんとう饅頭>がそれだ。

かりんとうの香ばしい甘さはそれなりにうまい、そのコンビとして中身は漉し餡が詰まっている。

この漉し餡が絶妙だと思う。
このお菓子の発想は何処にでもありそうだが、ここまでストレートに創るお菓子も珍しい。
素朴そのもの・・・・

気取らないお茶うけには、最高です。
そのうち、作って見たいと思うなーーー
                かりんとう饅頭1
かりんとう饅頭2
かりんとう3
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養生カバー
- 2010/03/11(Thu) -
リフォーム中の店舗の現場リポート
玄関ポーチ柱横のステンレスの縦樋がへこんでいた。

買い物のカートかベビーカーが当りへこんだのであろうか?
縦樋を補修しても又同様のへこみができる可能性は残る。
不特定多数の人達がこの周辺を物を持って動くことを考えると、縦樋の養生を考えるのが道理だろう。

そこで、縦樋を替えなくて、しっかりとして、目隠し代わりにもなる同様の素材のガードカバーを考えた。

シンプルに最初からそこにあったかの様な形でごく自然に出来ないだろうか?
柱周りの塗装とともに様相が変わるのでこの時付けるのがちょうど良いタイミングか!

そして、ささやかに出来上がった。

                     既設縦樋2
                     縦樋カバー2
縦樋カバー1
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朝日に匂ふ
- 2010/03/10(Wed) -
小鳥のさえずりが近くで聞こえる
近づいて見上げてみると、桜の小枝に二匹とまっていた。


<敷島の大和心を人とはば 朝日ににほふ山桜花>


本居宣長の句を思い出しながらカメラを向ける
朝日に匂うとはどんな感じなんだろう?
何故山桜なんだろう?
散るところが・・・自分と重ねられるのだろうか?
などと勝手に思いめぐらせながら桜を見上げる

鳥が来ている桜


足元には桜の花びらがいっぱい・・・・・散っていた

<散る桜 残る桜も散る桜> 良寛の句を思い出しながら

散る桜
桜つぼみ sakura

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サッシ取替え
- 2010/03/07(Sun) -
<三本松の現場から>
50年以上前に建てられた住宅の木製カーテンウォールの交換が無事終了した。
北面に設けられた木製のサッシからは、雨漏りがひどいらしく、何度も修理した跡がはっきりあった。

この際なので、雨の漏らない修理をしようと考えたのが、縦長窓のカーテンウォールサッシと、両側に袖壁をもうけた案。
内部の詳細には、施主家族の思い出の再現や採光に発想を頂いた。

昨年から相談にのっていたこのリフォームは、工務店の社長さんの提案と仮設の段取り、担当者の献身的なまでの現場作業の結果、先週から2週間で完了した。

創建当時のこの町の風景はアーケードがあり3軒の映画館やパチンコ店も2軒あり東讃の繁華街だった。
夏の日の土曜デーには、夜店が出て本当に賑やかだった。

現在の閑散とした風景が嘘のように見える。
そんな激変する町並みを見ながらこの窓はそこにあり続けて来た。
この町に暮らした人びとの思い出とともに新しい息吹を新しいサッシで吹き込められたら・・・・・・

                      交換前
サッシリフォーム2

小雨降る中、我が家のライラックが咲き始めた・・・・・今年も春が来た。
ライラック咲く3

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含羞(がんしゅう)
- 2010/03/06(Sat) -
昨夜のNHK深夜番組<LIFE 井上陽水 40年を語る>は興味深い番組だったので、深夜に起きだして観た。

音楽的な才能の開花と、それにいたるまでの右翼曲折、支えてくれるスタッフなどの人間関係は表面的な音楽を聞くだけでは見えない世界がよく伝わってきた。
随分長い時間をかけて取材をしてまとめた内容であることが十二分に伝わってきた、出色の番組だと思った。

中でも、一番私の心に残った言葉は、友人であり麻雀仲間だった、伊集院静さんの言葉。
色川武大と井上陽水の共通する人間関係を語った人物評<含羞(がんしゅう):はにかみ、はじらい>ですよと一言。

欧米人には無い日本人独特の控えめな表現、生き方を称して<含羞>ですという。
その切り口の鮮やかさと、人物評の的確さ。
またよく判りやすくいうために、日本人論まで持ち出して、井上陽水の人物評をいう表現に、伊集院さんを見ながら、さすがだナーと思った。

その前に五木寛之さんが同じ二人を評して、屈折した大人の都会育ちの色川さんと九州育ちのあっけらかんとした陽気な井上陽水の関係性だから交流が続いたという批評表現が何処と無くひらたく浅い洞察ではないかと思った。
そもそも、その二人に対して深く関わろうという、意識が薄いようにも思った。

伊集院静さんと五木寛之さんの両作家の視点を聴いて思ったことだが。
近くにいて、同じ人物を長年、見てきても、かくも違う見方をするものだと興味深く見させてもらった。

深夜に眠い目をこすりながら聴いていて音楽を聴く事より、作家の人物評を聞けたことがなにより良かった。

40年近く以前、井上陽水がまだ無名の頃、博多の九電体育館で私の横に並んで、大きく手を後ろについてコンサートを観ていた事を思い出していた。



                井上陽水スケッチ1
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